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写真:明圓寺写真:明圓寺写真:明圓寺写真:明圓寺写真:明圓寺

寺院の歴史

松江山宝泉院明圓寺(しょうこうざん ほうせんいん みょうえんじ)

写真:明圓寺

当山は浄土真宗の寺院で、真宗大谷派(東本願寺)の末寺です。

正式には 松江山 宝泉院 明圓寺 といいます。

鞆の浦の中心を抜け、石畳を上ると明圓寺はあります。

現在は鞆の浦にありますが、天文年間(1532~1554年)山田村に創建されたと伝えられています。

元は天台宗でしたが、2代目が山南 光照寺の明光上人に化導され、歴仁元年(1238年)に真宗に改宗しました。

文明年代末期(1486年頃)山田村の豪族から日蓮宗に改宗を迫られましたが改宗せず、室町末期(1570~1580年)に鞆の浦に移転しました。

石山合戦の時「進者往生極楽 退者無間地獄」と書かれた薄黄色の手織り木綿の旗を掲げ、石山本願寺に駆けつけました。その功績により本願寺12代教如上人から「松江山明圓寺」という寺号をいただきました。

その後、鞆の地で多くの御門徒さんとともに長い時を歩んでまいりました。御念仏の道場として常に荘厳され、御同行の薫りのする場所へ是非お参りください。

明圓寺の鐘楼

明圓寺の鐘楼

写真:明圓寺の鐘楼

明圓寺には江戸時代初め寛永21年(1644)に作られた鐘と珍しい袴型(はかまがた)の鐘楼(しょうろう)(鐘(かね)がつられている建物)があります。
江戸初期に作られた鐘は、外国船の来船で騒がしくなった幕末と大東亜戦争の時に、その多くが供出されました。
しかし、幸いにも明圓寺の鐘は御先祖方の御尽力で残りました。そのため私たちは江戸時代初めの音を今も聞くことができます。鐘をつきながら祖先の方々の思いを聞いてみたいと思います。
また、この鐘は朝鮮鐘の形式も取り入れられているので貴重とされています。この鐘は除夜の鐘のとき皆さんも突くことができます。

住職:松江長親(まつえ ながちか)

写真:住職

昭和48年に鞆の地で生まれました。
小学校4年生の冬に父が亡くなり、それから母と二人きりの生活。高校から京都に行き、25歳で住職になりました。まだまだ若いので元気に走りまわっています。
現在、妻と長男・長女・母の5人家族です。